市井の画人 山口羊男(芳生) 画(略)歴
 1919~2012
 
 
 
 1919年4月25日、奈良県曽爾村の農家に8人兄弟の次男として生まれる。

幼名 羊男。
長じて 芳生 に改名、老境に入り 羊男 に戻す。
作品署名は、芳生でローマ字表記

    
     
18歳の肖像      後列右端
 

 16歳で上府。

市内の印刷会社に見習い工として入社、業務教育の一環として美術教室に通い
美術環境にふれる。

戦時下は、中国大陸で北支鉄道(華北交通会社)の機関助手として働く。
終戦引き上げ後、活版印刷業に従事、以後仕事一筋で66歳にて退職。その間、
趣味の写真撮影以外の美術環境とは無縁の生活をおくる。

退職後、大阪市立天王寺美術館デッサン教室に通い学習。

   
     
     
     
 
2年間木炭デッサンを学んだ後油彩画に転向、独学で静物画を書き始める

以後、東大阪美術協会会員として活躍。
  
 
 
     
     
     
2003年 84歳の時の挨拶文には次のようなことが認められていました。

「66歳で退職後、大阪市立天王寺美術館にてデッサンに励み以前は、
風景画等を描いていましたが年齢を考え静物に転向し現在に至り、美
術館友の会・東大阪美術協会に席を置き春秋の美術展に出展・作画
に励んでいます。
私は今年84歳と成りましたが健康の許す限り静物画に専念して充実し
た余生をすごしたく心がけている毎日です。」
  2003年 記


 2004年11月3日、東大阪市文化連盟功労者表彰 受賞。 
     

90歳を目前にする頃から、絵の具を溶く油によるアレルギーが出始め以来
作画行為から遠ざかる。


右下写真左端の ”おかめ ひょっとこ” 油彩画が、絶筆となる。
  
 
     
     

2012年8月30日、天寿を全う 享年93歳。

2012年9月1日、告別式会場にて一部作品を展覧。(生前頑なに個展を
固辞し続けていた故人にとって最初で最後の作品展となった。)
  
 
  《 主の居なくなった画室 》
     
     
《 贈与先事例 》 
     
     
カンバスや額等の画材の粗方は生前の画友に引き継いでいただき、残され
た作品は親族・知人・関係機関に分散贈与され、それぞれの贈与先で飾られ
生かされています。
 
 

  
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