私の書棚に、一枚の若き男の写真が置かれています。
残されし古きアルバムのなかの一枚、添え書きには16歳と認められていました。
その一枚の写真のなかには、初めて目にし、初めて感じた、親父の若かりし姿と、
若き日常が刻まれていました。
そうか、親父にも”若き時”が在ったのだ・・・
朝星夜星と仕事一筋、平凡な印象しか持てなかった親父が退職を契機に天王寺
美術館のデッサン教室に通い始めた時は、その行動発意が理解できず、ただただ
その突飛な行動力に驚きと称賛を、覚えたものでした。
その父と絵画との接点を知ることになるのは、親父が亡くなった後のこととなります。
親父が16歳で故郷を離れ大阪で印刷会社の見習い工として入社しその業務教育の
一環として美術教室に通った事があり、古きアルバムのなかに壁一面に絵画が掛け
られている室内での集合写真が遺されていました。
少し緊張気味に写りし若き親父にとって美術教室での体験はどの様なものであった
のでしようか?16歳と多感な頃、草深き山村から出て来て間なしの若者に美術環境は
どの様な影響を与えたのでしょうか?それをうかがう術はなくただ50年の年月を経た
1985年、退職を期に第二の人生をデッサン教室で出発させ以後20数年間市井の画家
として歩を進めることとなります。
我が家のリビングの壁に ”青きリンゴのある静物” 10号が、掛かっています。
”青きリンゴのある静物”は、セザンヌの如き確たる構図を持たず、レンブラントの如く
豊かなマチエルも持たず、またマチスが如き芳醇なる色彩も無く、ただただ物が無造作
に置かれ、ただただペタペタと塗り重ねられ、ただただ在るがままの色彩で構成されて
います。過去の作家へのオマージュや技巧への追従とは無縁なただただ ”ありのまま”
が程よい空間に切り取られ、ありのままに写しとられています。
深夜、”青きリンゴのある静物”、の前で一人酒を飲むとき、何時しか卓上を、背景を、
”時”が緩やかに動いていくのが私には感じられます。日常の身の回りにあるものを並べ
静かな画室の柔らかな光に包まれ、静かに無心で絵筆をはしらせ、あるがままを写しと
る、その”あるがまま”のなかにはきっと”時の流れ”も含まれていたのかも知れません。
小さき作品紹介写真にその感動を表現させることが叶わないもどかしさを持ちつつ、
2014年親父の三回忌をおえた今日、初代ホームページ(2003年)の作品紹介ページを
更新させていただきました。
この緩やかな時の流れを皆様に少しでも感じていただければ望外の喜びです。
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2014年 息子 山口純一 ・・・・ |
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(贈与先 展示スナップ) |
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