直腸癌闘病日記 (2005年6月16日~8月11日) 

2005年6月16日 健康診断書受け取り
2005年7月26日 手術
2005年8月11日 退院

                            
それは、1通の判定書から始まった。
 
 

6月16日(木)
健康診断書戻る。肝機能の改善が見られ喜ぶ、大腸に潜血が見られ二次検査
が必要との判定。 家内・娘の強い勧めと、若干の気がかりがあり同意する。


6月17日(金)
外回りの途中、検診センターに大腸検査の予約をしに行く。
さしたる感動は無し。


6月27日(月)
PM2:00 検査スタート 空気とバリュームを入れられるも特に違和感なく順調に
終了する。想像していたほどのダメージはなし。
PM3:00 検査報告を受ける。
18枚のレントゲンを見る、内2枚に腫瘍らしき形状物有り。医師の説明が頭を
素通りし、顔がただただ赤らむのみ。
切除手術を即決し、手続きをおこない紹介状とレントゲンを借り受ける。


6月29日(水)
海浜病院にて初診を受ける。
相棒が同行の為心強し、手術前検査を受け内視鏡検査の予約をする。
午後会社に出社後、報告し休暇申請と業務引継ぎの手続きをおこなう。


7月 1日(金)
得意先に代行者を紹介し引継ぎの手筈と挨拶をおこなう。
一抹の寂しさを味わう、定年退職時もこんな感じなのか。


7月 4日(月)以降
得意先への引継ぎと、挨拶。内勤業務の引継ぎを行なう。


7月 5日(火)
会社を抜け出し検診センターに消化器系のレントゲンを借りに行く。


7月 7日(木)
海浜病院にて内視鏡検査うける。
相棒と上の娘が同行、仰々しいとも思うが従う。  
不安と恐れあるも、恥ずかしさ無く検査室に入る。
腸の各部分に突っ張り感を感じつつ順調に検査推移、モニターに写し出される
ピンク色の美しい腸内の映像を見、少し安堵する。
該当患部はやはり大きい、組織採集時の血の滲みを冷静に見つめている
自分と現実のギャツプに違和感を覚える。
遅い昼食に鰻を食べる、旨かった。


7月 9日(土)
入院前に水虫の治療を受けに行く。


7月10日(日)
入院準備の為、買い物をする。
パリッとスタイリッシュに決めようと入院着に作務衣を購入、今のところまだ
精神的に余裕有り。


7月14日(木)
病院からいまだ連絡なし。
諸藩にお預け、沙汰待ちの赤穂義士の心境?。
業務引継ぎは、順調に進んでいるが今後のスケージュールが決まらない為
落着かず。


7月16日(土)
夜、生命保険の担当者T氏より電話があり色々説明やアドバイスを受ける。
心強く、心にしみた。


7月17日(日)
入院を控え、ホームページの更新準備を行う。
入院前日に、7月8月合併特別号をUPする予定。


7月19日(火)
午後2時過ぎ、M社に向かう営業車のなかで入院案内の連絡電話を受ける。
間違いなく癌とのこと、携帯をもつ手が強張った。助手席の同僚に目配せをし
無言で同意を求め、「お願いしますと」即答する。
21日入院決定、直ちに相棒に連絡を入れる。


7月20日(水)
PM7:00 最終の引継ぎとレクチュアを終了。
満足いく引継ぎが出来たかどうか、バトンを受ける同僚に申し訳なく思いつつ
退社する。 明日、入院。


7月21日(木)
AM11:00 入院。
夕刻、医師より入院診断計画書の説明を受ける。
病名      直腸癌
胃カメラ検査 7月25日
手術予定日  7月26日
内視鏡検査時に内示されたように、癌患部は一箇所のみで手術はさほど困難
ではないとの事。手術・治療には医師7名が行い念のため胃カメラ検査を
前日に行いたいとの説明が有った、なんら動揺は無し。
病室は海側、5階より見下ろす風景は、いつもの見慣れた海が広がり心地よし。
昼食は5分粥、早速の病人食に自分の置かれた立場を少し自覚する。
夜眠れず、たびたびトイレに行く。


7月22日(金)
早朝より腎臓検査の為、検尿3回行う。
昨日親しくなったZ氏、朝より手術、フロアーにて見送る。
退屈、終日ゴロゴロ。階段の昇り降りを3往復するが筋肉の衰え防止不能、
何か工夫必要。 外出許可願いを出しOKをいただく、明日午後から4時間余り
自宅に戻り羽を伸ばせる嬉しい。
PM1:00 M氏に業務電話をする。見積もり提出中の案件取れたとの事、
順調に進んでいる由安心する。
夕方、入院後初めての入浴気持ちよし。
夜、相棒来院嬉しい。入院診断計画書と保険関係の書類を交換し説明しあう。
終日、便出ず。
夜中の3時ごろ、隣りのX氏の痛みと吐き気を催している気配を感じ起きる。
肝臓癌との事、物音を抑えながらの看護師の処置をカーテン越しに感じながら
ただ祈るのみ。


7月23日(土)
AM:6:00 高曇り、海穏やかに広がり長閑穏やかな無音の時間が流れるのみ
親しくしていただいた、Z氏・S氏退院。
昼前、相棒到着、昼食を済ませ早々に帰宅。
用意の風呂でくつろぐ、大いに満足。やはり自宅は心地よし。
一休み後やり残した諸々を手短に処置した。帰宅目的を達成する頃を見計り
鈴木夫妻お見舞いと浅田次郎の本を手土産に来訪、暫し歓談す。
PM4時半過ぎ大きな地震有り、当分の間寝る場所の変更を指示し帰院。
病院では、エレベーターが止まり食事を医師、看護師総出で階段に並び
手渡しで上階までリレーしたり、患者の移動を担架でおこなったりと、
おおわらわの様子後で聞く。
手術前最後の食事、明日から絶食点滴生活のスタート5分粥を心して頂く。
朝方、金縛り?状態を経験する。


7月24日(日)
AM:6:15 高曇り、休日の為か散策する人多し。
朝一は、体重測定の日 63kgで2kg減、おなかの皮膚の張りが無く老人の様。
本日より絶食、食事姿を横目にお湯を飲む。
AM10:00 下剤を飲みはじめる、効果てきめん3回目でほぼ水状の便に。
AM11:00 点滴開始、明日胃カメラ検査。


7月25日(月)
AM6:30 曇り一面乳白色、沖の船見えず。
窓ガラスに蜂が一匹こちらに入りたそうに足をモゾモゾしへばり付いている。
「オイオイ蜂君、好き好んで入る所ではないんだよ。」
お腹が少しゴロゴロしているが、それ以外体調は良好。
AM9:00 下刈と臍の掃除、2日ぶりの風呂気持ち良し。
AM10:30 回診、胃カメラ中止を告げられる。
昼前よりナースセンターで、私のレントゲンを前に医師・看護師多数による
ミーティングが始まる。刻々と周りでは、手術の準備が進んでいく。
手術看護師が手術の手順説明に来る、明朝9時開始とのこと。
PM1:30 今、食堂の隅でワープロを打っている斜め向こうの窓辺に白髪の老爺
が一人、肩を傾げ海を一心に見つめている。後ろ姿とわずかに見える横顔が
大阪の親爺に良く似ている、何処が悪いのだろうか?。
夕刻、麻酔技師からの説明に続き主治医のⅠ医師による病名説明及び
手術法とリスクに付いての説明あり。
直腸進行癌、最悪の状況の一つ手前。ほとほと検診センターと家族に感謝、
そして自分にも。
明朝9時より手術。



 手術そして安静の日々 
 
 

7月26日(火)から8月1日(月)
  深い深い眠りから再生へ・・・・回想

” 手術 ”
AM8:50 相棒に下帯を締めなおしてもらい出発、エレベーターの鏡に写る
自分に向かい、俺は男だ、男だと心でつぶやく。
廊下の突き当たり手術室の扉に異様な雰囲気を感じた、異質な世界が自分を
待ち受けているような。相棒とはここでお別れ。
やはり異様な世界であった、秘密クラブのフロントの匂いがする。上の娘から
「手術看護師は、美人ぞろい を確認してね」と頼まれていた事を思い出す。
看護師間の引継ぎの間、周りを見渡す5名はいただろうか一目で美形と分かる
人達、ブルーの手術服を着てサイボーグの様な感じがして私には5階の看護師
の方が好ましいと思った。
内扉の中は、左に3室右に3室、ドアがあったのか開け放しだったのか内が
丸見え、格納庫のイメージに続き修理工場だと思い、ふと人の体を修理するの
だからあながち間違いではないなと心の中で苦笑し少し気持ちが楽になった。
黒色の手術台に上がり目をつぶる。 ほんのまどろみ、
幼き頃の記憶の中に遊ぶ。
4時間余りの手術、自分にとっては束の間の時間にしか感じられなかったが、
相棒にとってはさぞ長い長い時間であったことと思う、すまんなぁ。

” 夜明け ”
術後、朝・昼・晩 時間が異様に長く止まっているように感じられる。
特に夜、小刻みに襲ってくる痰切る咳で傷口が軋み体を震わせつつ秒を数えて
朝を待つ。
ある朝、首を左に傾げた正面に太陽がこちらを見つめていた。
思わずありがとう母さん、ありがとうお姉ちゃん、ありがとうさよ、ありがとう
みんな。幾重にもうす雲がかかった白銀の太陽に向かい思わず心の中で
話しかけた、左の目尻から幾筋もの涙が流れた。

” 蛍の音(ね) ”
今夜も、リリリーリリリーと蛍の鳴く音が聞こえる。
患者が助けを呼ぶナースコールが今も看護師のポケットの中でリリリーと
鳴っている、赤子が親を探すようにあちこちで鳴っている。
長いながい夜の闇の中でいつしか音は蛍の光に変わった。
今夜も、彼方でひかりこちらでひかり、長い長い時間の中を漂い光っている。

” 体の不思議 ”
術後の体には数本の管が貼り付いていた。
口にはマスク、左腕にはリンゲル、右腕には酸素測定器と血圧計、背中には
痛み止めの管、息子には尿道管が刺さり非人間的有り様。一日たち二日経ちと
それらの数が減っていき最後にリンゲルと尿道管が残った、動けぬ時は重宝
した尿道管も歩き出したらこれほど不便で惨めなものは無い。
数日の訓練を経て尿道管が外され久しぶりにスッキリとした気分を味わったが、
ドッコイ出ない。こみ上げる尿意 ほん先っぽまで尿が来ている感じ、あと少しが
出ない出来ない、何度も何度もふらつく足を踏ん張り痛むお腹に力をいれるが
どうしても出ない。
惨めな気持ちで尿管を再度差し込む看護師の髪の毛を見つめていた。



  回復・希望 そして退院
 
 
8月2日(火)
AM10:00 ワープロに向かう。1時間ばかし回想文を作成する。
あれも書きたい、これも残しておきたいと思っていたものが記憶の彼方に雲散
少しづつ拾い集めて記録する。疲れた。
PM5:00 嬉しいことが2件。昨日尿管が取れたため寝巻きからパジャマ姿に
着替えられ行動範囲が広がった事。もう1つは、待望の通じがあった事、
黒い海鼠腸状の不気味な便を見つめ 「つながった。」 と手術の成功を実感
した。


8月3日(水)
AM7:00 薄曇り。食堂の窓越しに見える海は、鉛色冬の海と錯覚しそう。
昨晩も咳に苦しめられた、腹が千切れそうなヒクツキが幾度も幾度も襲って
くる一夜を耐え過ごせた幸せ感に、今浸っている。
昨晩、点滴が抜けた。これで体は、自分の物。
一昨日から小便時に尿道が痛む。ますます其の感が強くなって来ているように
感じる、回診時に医師に報告しようと思う。
PM6:30 先程夕食を食べ終わる。三分粥初めて完食する、疲れた。ものを
食べるのがこれ程しんどいものか、エネルギーを必要とするものかが分かった。
食後初めてロビーに下り会社に電話をいれる。引継ぎ業務大方順調のよう
安心する。
今日は長く座っていた為か尻がいたい。
体重62Kg,本日いまだ便なし。
穏やかな眠りを願う・・・・・。


8月4日(木)
AM6:10 薄曇り、波穏やか。
お陰さまで昨晩は、咳が少なく今日の波の様に眠れた。
食堂のソファーに娘さんが一人まどろんでいる、夜かけての看護の後の休息
患者本人も家族にとっても、叉長い戦いの一日が始まる。
隣のK氏本日手術。胃癌2/3程ほど摘出とのこと、暫し歓談する。
AM8:55手術に向かうk氏を部屋の前で見送る。
午前の回診時、半抜糸。午後回診では、腹の管が抜かれた。
夕刻、待望の便出る、小指大多数 チョコレート色一丁前に形状もそれらしく
成ってきている。
相変らず尻が痛い、終日ベットの上でゴロゴロして過ごした。


8月5日(金)
AM7:00 薄青色の空、波穏やか。
今日は、寝坊をした。痰・咳まし、腸の接続部分の痛みか尻相変らず痛い。
管の抜き後の痛みも有り、今日もベットでゴロゴロするか。
AM10:30 朝の回診時、全抜糸。医師にお尻の事を伝え見ていただく、
肛門に指を入れられ痔の検査、小さなイボが在るとのこと。夕方の回診時に
再度確認していただく事となった。硬い椅子に長時間座っていたためか。
PM4:20 回診、肛門痛は手術時の管による炎症と診断され時間の経過と
共に消え去るとの事、暫し安心する。それにしても痛い、今ワープロを立って
打っている。
今日は、これまで。


8月6日(土)
AM6:20 薄ブルーの空、幸せ色に満たされた海。
堤防には数人の釣り人、ハゼを釣っているのだろうか穏やかに時間が流れて
いく。
昨晩は、咳がひどかった。喘息のように繰り返し繰り返し襲い来る悪魔に勝つ
術を知らず、ただ時の過ぎ去ることを心に祈り朝を迎えた。
カーテンの色が明るさを増し、カーテン越しに柔らかい薄オレンジ色の光が
援軍到来を告げるラッパを響かせ一刻一刻その色を増してくる。もう数時間で
相棒が来る、この幸せ感に包まれこれから暫くまどろみに身を任せようと思う。
午前回診時、管穴以外の腹帯とガーゼ類が取り外された、鏡に写し繁々と見る
相変らず肛門痛あり。
夕食時便を少し漏らす、直腸が短くなっていることを痛切に実感させられた。


8月7日(日)
AM6:10雲を従えた青い青いロココ調の空、ややうねりのある海は数十匹の
イルカの乱舞が如くそこかしこで、ボコッ プカッと白い波頭を見せている。
もうすぐ波頭に倍するサーファー達がイルカを蹴散らしにやってくる。
AM11:20会社よりT氏・S氏が見舞いに来てくださる、今回の病気を魚にして
話題を盛り上げる自分にいささか嫌悪感を覚えたが、会社の話題等で楽しい
一時を過ごした。
PM4:00久振りに食堂でタイプしている、右側の窓一面に広がる海面に多くの
サーファーが右に左に白い航跡を従え疾走し、こうべを回せばシャンペン色に
照り輝く海面上にカイトサーファー達がカイトをはらませ風を掴み舞い上がり
疾走しキラキラ陽光とダンスをしている、沖からは強い風が吹き寄せてくる。
今日の食堂は大賑わい、あちらこちらで面会人との楽しい輪が出来ている。
尿道痛と肛門痛は、相変らず痛いが少し痛みの感じが痛痒い感じに変わって
きている、改善の前兆か。早く小便がスッキリと出るようになりあの爽快感を
味わいたいものである。
流動食から始まって今日で8日目、七分粥を先程食べおわる。明日から全粥食
順調にいけば3日後に退院出来るかもしれない。
早く相棒の横で眠りたい。


8月8日(月)
AM6:30 水平線がクッキリ見えている。内房総の山並み白く横断道の架橋が
遠くに見え目を転じればバラ色の船体を輝かせた大型船が。波は、静かにして
滔々と満ちてきている。
昨晩尿出しに手こずる、何回も何回も起きては便器の前に立ち下腹に力を入れ
草むらをイメージするも気持ちの悪い感触ばかり先にたち小便が出ない、また
あの尿管生活に戻らねばならないと恐怖に脅え懸命に絞り出す。今日は水分を
多く採り、尿出しトレーニングに努めたいと思う。
”最善の努力 努力” 頑張れ俺は、男だ。
PM2:40 術後初めて風呂に入る。管あとの傷が気になるので下半身浴と
シャワーのみだが実に気持ちよかった、毎日相棒に全身を拭いてもらっては
いるが石鹸でゴシゴシやるのは別格である。それにしても、鏡に写る自身の姿
のなんと痛ましいことか、胸はたるみ腹には縦に傷が穿たれ手足は痩せ細り
別人のよう、リハビリに頑張らねば。


8月9日(火)
AM6:20コンポーズブルーの大気に覆われ水平線が見えず、もやっとした
灰色の大型船の点在で空と海の間が認識できた、海波微動だにしない、
潮目の後をいく筋も残しベトッと横たわっている。今日は海岸に人影少なし、
堤防のポイントに釣り人が3人これまた動く気配なし。
昨日の夕回診時退院の話がでる、術後の経過良好傷口腹の弾力全て良好
との事で12日には如何ですかとのこと。あぁ有り難い、周りの人達には先に
出て行き心苦しく申し訳なく思うが 正直嬉しい。
2日前より治療らしき処置が少なくなってき、術傷の痛みもやわらいできている
事や入院通知を待っている人がおられる事などを考え、当初予想希望退院日
の11日午前中を医師に申し上げた。
小便、改善の兆しあり。昨晩は5回とも立小便で通した、若干の爽快感が
あった時も有りもうふた頑張りかと思う。
肛門痛の方もましになって来た、痛いというより痛こそばい感じでクッションを
効かせた椅子に暫くは座っていられる様になって来た、今も食堂で30分余り
座っている。便は、小振りなものの通常に近い形状色をしている、腸の中も
順調に回復してきているのだろう。
夕回診、異常なし傷も綺麗に付き問題なしとの事。嬉しい。
日暮れ時、小鳥が三々五々群れを作り病室の窓を横ぎって行く、大きな群れ、
小さな群れ、一羽だけ、中位の群れ、統制の取れたものも有れば、ばらばらも
ありと多彩、それにしてもかなりな数である。


8月10日(水)
曇り、空も海もどんよりとしている。
沖に停泊する貨物船がいつもに比べ多い。  (AM6:20)
早朝相棒に呼び起こされた、トウサン・トウサン・・・・・・・トウサン 
何時しかそれは、カアチャン・カアチャン・カアチャン・カアチャン・・・
カアチャンに変わり足元から聞こえてきた。それは、相棒の声ではなくI氏の
つぶやきと気づく。58才、食道と胃を切って3ヶ月、傷口の一部がくっつかず
2000calの栄養剤を直接腸に入れ、水一滴口にされずにおられる、朗らかで
ユーモアに富んだ好人物。通風の痛みに耐えがたくカアチャンに救いを求めた
のだと思う。
私は、これからの人生の節々で奢るような事があれば、白銀の太陽に向かい
思い出し自身を律し謙虚に過ごしたいと思う。
AM7:05今TVでディスカバリー号の帰還映像を見た。凄い、大したものと、
何時も以上に感動した。
午前回診時手術傷最高とお墨付きを頂く、主治医のI医師より明朝の退院を
正式に告げられる、嬉しい。
術後の回復が少し遅れていたK氏を見舞う、顔に精気が出てきて安心す、
早く元気になられるよう心の中で祈り退院挨拶を兼ねた文を作成、
明朝出発時に手渡そうと用意する。
PM5:40 主治医I医師より病理結果説明と退院後の治療計画についての
アドバイスを受ける。5年間の経過観察の期間を穏やかに楽しく過ごし経過
終了後、相棒と万歳を叫びたいと医師の説明を聞きつつ心の中で誓った。
明日から叉新しいチャレンジが始まる、宜しくな相棒。


8月11日(木)
AM6:15 薄晴れ、水平線が柔らかく識別できる。停泊船多し。砂浜に
堤防に遊歩道に人が、自分も今日から目の前を遮断するガラスの向こう側の
人になるのだなぁとボンヤリ思った。
昨晩3時頃小便に起き、その後なかなか寝つけなかった。遠く廊下の向こう
から微かに聞こえてくる咳の音や警告音、看護師の力強い足音、話し声、
寝息、溜息が神経を研ぎ澄ます。暫くすると左目奥から捩じれながら下降し、
右回りに螺旋を描きながら無数の映像が現れてきた、数十枚ずつ目の前を
通り過ぎ記憶の彼方に右旋回しながら消えていく、リアルで綺麗な色をして
いたとしか今は思い出せないが入院中の出来事の一つ一つであったと思う。
どのくらい寝たのであろうか柔らかいクリーム色の光線を浴びながら目覚め
先ほどの事を色々考えて”非日常の生活から日常へ”の復帰の儀式では
なかったかと思い至った。入院当初に経験した金縛りも叉”日常から
非日常の生活へ”の導入儀式であったとしたらガテンがいく。もう間もなく
相棒が迎えに来る、このガラスの向こう側に連れ出しに来る。
体重59.2kg肛門痛が多少残るが体調良好、腹をかばってきたせいか
姿勢が悪くなっている。
午前回診後退院の手続きと親しくして頂いた人々や看護師さん達に挨拶を
して回る。長期入院されている人には何か済まない様な気持ちが心の中に
あり上手く挨拶出来なかった。
正面玄関を一歩踏み出したとき想像していた程の感動はなく拍子抜けする。
昨晩は、もっとドラマティックストーリーが頭の中に展開していたのに。
海沿いの道を走る、好きな道。5階の食堂より何度も幾晩も相棒の車の
テールランプを追いかけたその道を戻っていく。もう何も自分を遮る物は
ない。
PM1:10風呂に浸かる、フウアア・・・・ウウアア気持ちの底から自然と次々に
訳の分からないウメキ声が出てくる、俺は帰ってきたとその時実感した。
PM2:00 大阪の実家に電話、直腸癌で入院し退院した旨の連絡と、
今まで黙っていた事、体を傷つけた事等のお詫びを母に伝えた。
PM4:40 会社関係退院の報告メールを各種送信する。
相変らず肛門の痛痒さ有り、少しの時間畳の上で横になろう。


 
 
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