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老耄記 2019/11 起筆~只今2023/ 1
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< 老いのほそみち 放浪放言録ー12節 > |
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2022/12/28 手のひらに・・・五年 |
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「雨にも負けず 風にも負けず コロナにも
諸物価高騰にも増税にもめげず
冬の寒さや夏の暑さにも・・・
常に ケセラセラと笑って乗り切る」
そんな一年を過ごしたいと願っています。
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巻頭の文は2023年の年賀状に添えたものです。
「なんや何処かで聞いた様なぁ~」 とお思いの方も居られ
るかも知れませんが まぁ~ そこは めでたい正月のこと と
お見逃しください。
幕張郊外を隠居地と定め 花見川を渡り 瑞穂に定住し 5年、
隠居とは言え大尽では無い吾は”ご隠居”ならぬ”素隠居”の
身、然し乍ら道を歩けば小中学生の一部の子等から挨拶を
受け、出会った校長・教頭先生から「何時もありがとうござい
ます」と頭を下げられる身、まぁ~それも通学時間帯に地廻
りよろしく腕章巻いて歩いているが故。
近くの郵便局に行けば毎回局長さんが挨拶をくれる、これも
某ボランティア活動の賜物。
またまた近くの図書館に行けば司書のお嬢さん方から又 来
たねとニコッとされる、これは 本買う金が無いので図書館通
いしている賜物、いやはや・・・
其れもこれも、この地は小さなエリア人・個人・個人が存在観
が持てる場所であること!
いやぁ~実によかぁ~!!
そして、またぁ~ 畑作業も・・・
いやぁ~これも実に よかぁ~!!!
石の上にも三年、畑土作りは 五年.?
ようやく大根らしいダイコンが出来、来年正月の”おせち”に
使う里芋を確保し、白菜・人参・ジャガイモ・ネギ・等々 etc
その時々で持ち帰る収穫物は吾が青春 昭和時代の給料日
の あの高揚とした気分を喚起させ・・・
ほんまに よかぁ~!!!!
この様な隠居生活がおくれるのも相棒の「なるようになるさ」
のお陰、 いやぁ~ 感謝!
で 吾は! 「雨にも負けず 風にも負けず・・・」
なんやて、お釈迦様の手のひらの上の孫悟空やてかぁ?
( ^ω^)・・・
<おまけ>
上の写真を視ると 腰棒立ちの素人の所作に見えますが、
ドッコイ!!、「これが好いんです!」
ダイコンの植え床を作っているのですが深く耕すには体重
を掛けて棒立ち数分を繰り返し・繰り返しするのが・・・
いやはや・・・ 自画自賛 お許しあれ (笑)
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2022/11/11 老いの細道 |
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遊歩道を歩き、川を越え、寂しき農道をテック・テック歩き、
台地にのぼり 隣町の農産物直売所に行く。
今日の買い物は柿とキノコ類
「いやぁ~ つかれたぁ~」
もう何年になるのか? 隠居地に越した当初のスタスタ歩き
が 何時からかテク・テクにかわり 今は・・・
「いやぁ~ なさけない」
台地を下り、土手に向かい、寂しき野の道を歩む
柿とキノコで膨らんだリュックを担ぎヨッタ・ヨッタと帰る。
長く、細く、寂しい路をヨロヨロ戻る
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(51) 2022/8/31 ベランダ呑み |
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<ベランダ展望>肉眼ではビル群は写真より近くにみえます。
中央下部(花見川区役所)・右(瑞穂小学校)と(下総台地南端部) |
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(マジックアワーの景色 色調は天気により様々に変化します) |
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19時過ぎの幕張新都心現況 |
(煌々と輝くマンション群に比べ赤色灯点滅する商業ビル群の
なんと寂しき事か) |
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眼前を タフタフ タフと遡り流れゆく花見川の水面と、マジック
アワーに彩られた幕張新都心のビル群を肴に365日欠かさぬ
ベランダ飲み 今回はその際に肴となるベランダからの眺めの
一コマ一駒に秘められた思い出の数々を開陳させて頂きます。
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「・・幕張銀座と云うさびれた商店街を抜け、民家の細い道を
通り、国道14号沿いにポッンと建つ団地に近づきつつ、傍らを
歩む妻に何か申し訳ない気持ちになった事や、借り上げ社宅
となる団地のドアを開け中に入り、設備が想像していた以上に
整っていて、妻が満足してくれた時の安堵感が今でもリアルに
おもいだされます。・・」
1987年3月事業所開設に伴い大坂から貝殻まじりの荒涼た
る埋め立て地に移住。さきの文は、末娘の入園手続きに初め
て幕張の地を訪れた時の心境です。
風吹けば砂塵舞い 風雨為ればガラス窓に塩の結晶がこびり
付く異郷暮らし、それでも日満しに槌音大きく建物群が姿を現
し始め 子等の成長と伴に新都心の成長を身近に感じられる
得難き経験をさせて貰った地幕張新都心そして其の建物群の
真ん中あたりの其の先の、その遠くに吾が故郷河内がある。
ベランダから幕張のビル群を遠望すると過日のあれやこれや
がおもいだされます、「住友ケミカルビルの鉄筋の骨組は
いやぁ~美しかったなぁ~」 で グビリ!
ビル群の右に聳える富士山にも思い出が。
城南に設けた新事業所の上層階にあるトイレの窓から大きな
富士の山が見えました、富士の山めがけて放尿するいやはや
何と罰当たりな事を( ^ω^)・・・
ベランダに初秋から早春にかけて姿を現す富士の山をみるた
び思い出される事があります、幕張車庫を出た始発電車に乗
り出勤し、日が代わった深夜 湾岸道路をタクシーで帰宅した
過ぎさりし日々の事、冬の始発電車の何と冷たかった事か。
それにしてもよく頑張れたものと吾が姿・仲間の顔が浮かん
では消えていきます。
「せやけど、よぉ~あんな冷たい電車に人乗せて金取りよ
ったもんやなぁ~こらJR」 で チビリ!
富士の山と下総台地の中間あたりの遠方の街並み その更に
向こうに新宿の街があります、ここにも思い出が。
大坂本社から城南事業所を経て三番目の勤務先東京支社が
あつたのが新宿、多くの知己を得 経済のダイナミズムを知り
よく働き よく呑み歩いた街、遥か遠く 霞むビル群の向こう
にまき散らし汗と 恥と ゲロの 数々を
さて、展望写真のマンションの赤い屋根の向こうの送電線と
ビル群との間に肉眼では2ミリ程荷待ちの貨物船が浮かぶ海
が見えます。直腸癌切除手術後の腹の痛みで眠れぬ朝に見
た海、入院していた病院は赤い屋根の向こう海沿いに建って
います。夕日に光る2ミリの帯びを見るたび56歳時のあの
闘病の日々が・・・
「ほんま よぉ頑張ったでぇ~」 で ゴクリ!
さてさて、話が手前味噌に成って来ましたので軌道修正を。
展望写真右 上下中央の緑の塊が下総台地の南端部に辺り
ます。
写真に写る台地部分に ”鎌倉殿の13人”ならぬ14番目
か将又 20番目?になるのか彼の ”千葉常胤” 由縁の史蹟
が5箇所も散見できます。
吾れが この地を隠居地と定めた切っ掛けの一つが 区役所
主催の 歴史散歩で当地を訪れたこと。
その際の案内を務めた郷土史家のD氏が住まう巨大なマンシ
ョン(馬加城の城址)も 肉眼で見て取ることが出来ます。
「Dさん、元気で講演されてますか?」 で 「献杯!」
と、此処まで書き進めると追想に浸る孤独なベランダおじいち
ゃんを想像されるのでしょうが、ドッコイ!!
眼下の”瑞穂小学校”の校庭には若き友が吾が酒のつまみを
提供してくれます。
幼き(若き) サッカー3人組 ポーン・ボーンが吾がベランダに
出る合図、一杯・二杯・三杯と陽が落ちるまでボールを蹴って
は駆け回る。「 いやぁ~よかぁ~ 」 で3杯はいける。
それと・・・ 黄昏時の学童保育に迎えに行く親の後ろ姿や
一緒に帰ってくる子・親のシルエットで、又 グビリ!
そんでもって、区役所の向こうの瓦屋根の下に居る孫達二人
に待ってろなぁ~後3年と、念を送るのも此のベランダから。
孫の竿おろしには俺がやる。と、眼前の花見川のハゼを気遣
いながら呑むのも又・・・ いやぁ~よかぁ~
此のベランダ呑み、安い焼酎のお湯割り呑み放題でオマケに
美味い肴がタダときてるからいやぁ~たまりまへん。
そして今夕は、肴が一品追加されました。
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大坂の朋友からメール着信
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「この頃健康寿命が ヤバイよヤバイよって 左腕が夜中に疼き
目が覚めます
日本の健康寿命 [男]70.42 [女]72.62
いつアウトに成ってもオカシ無い歳に成ってしもうた
兄ィは大丈夫ですか? ・・・ 」
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”健康寿命” 友からのメールワードが今夕の肴
何時の間にか健康寿命平均値を数年オーバーしている事に気
付き 無様な所作のアレやコレや・脳みその不活性などが機縁
のソレに 合点がいった次第です。
吾が人生の目標 ”ピンピンコロリで享年80” まで まだ暫し
今のままでは ”ダラダラヨロヨロで・・・” と 成りかねん
「 こりゃ~えらいこっちゃ 何とかせなアカン!」
とは思うものの ”ケ・セラ・セラ” も 吾が座右の銘!
「 とは言え! とは言え!」 で もう一杯!
いやはや( ^ω^)・・・ |
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